
人力車は、1869年に鈴木徳次郎・高山幸助・泉要助ら3人が、東京で見た馬車から人力車を発想し発明したといわれています。
彼ら3人が翌年、東京日本橋で営業を開始したことから人力車の歴史が始まりました。
人力車を営業するにあたって東京府(現在の東京都)は、発明者の彼らに人力車の製造と販売の許可
(その際の条件は、人力車は華美にしないこと、事故を起こした場合は処罰する事)を与え、彼らを「人力車総行司」と称しました。


人力車を新たに購入する場合には、この3人の人力車総行司のいずれかから許可をもらうことなりましたが、1873年「僕碑馬車人力車等諸税規則」が告布され、総行司の仕事であった車税の取り集めや検印は戸長の手に移ることとなったため、彼らは人力車総行司の権限を失ってしまいました。
人力車は誕生してから需要があった、移動が早い、時間の節約、運賃が手頃などの様々な理由から総行司人気は急速に高まり、人力車数は製造開始からわずか1年半後、東京府だけででなんと10820台。1975年には25038台にものぼりました。